空見上げ想う





 俺があなたと初めて逢ったのは、随分と昔の話。未だこの世界に慣れていなかった俺を、貴方が助けてくれた。
 そのとき、俺は貴方に恋をしたのだと思う。
 最初のうちは俺も自覚などまったくなく、ただあなたが気になっていただけだった。見ず知らずの人間を助けてくれた、優しく美しいあなたが。
 あなたへの想いに気づいたのは、ずっと後のこと。
 いつまでも忘れられないあなたの笑顔に、励まされた。優しい声に、癒された。あなたのことを想うと、胸が焦がれた。
 俺はきっと、あなたを護るために生まれてきたのだ。あなたと、あなたを取り巻く世界を護るために。
 たとえあなたが俺を想ってくれなくとも、俺はあなたを愛することを誓う。
 俺が欲しいのは、あなたの笑顔だけだから。俺が願うのは、あなたの幸せだけだから。
 どうか傍に、置いてください。



「……イアくん、寝ないの?」
 真夜中、ベランダで俺がぼんやりと空を眺めていると、急に声をかけられた。この優しい声は、俺の愛しい王子。
「空を……見ていました」
「そら?」
 床に座り込んでいた俺の横にちょこんと座ると、王子は夜空を見上げた。ここは街の中心部から遠い場所だからか、綺麗な星空が見えた。
「王子……冷えます」
 春先だとはいえ、夜中はまだ冷える。俺は自分で使っていた毛布を、王子の肩にかけた。
「ありがとう。でも、これじゃあイアくんが寒いでしょ?」
「いえ……平気です」
「ダメ。イアくんが風邪ひいちゃったらどうするの?」
 そう言って王子は俺に擦り寄るように寄り添うと、自分の肩にかかっている毛布を広げ、俺の肩も一緒に覆った。
 密着する身体と身体。すぐ傍には、王子の顔。一気に自分の体温が上昇していくのを感じた。
「お、王子……」
「これなら寒くないでしょ」
「は、はい」
 にっこりと笑う王子の顔をこれ以上直視出来そうになく、俺は視線を空に向けた。
「あー、そういえば、イアくんと初めて会ったときも、ずっと空を見てたよね」
「……え、そう……でしたか?」
 唐突に告げられた言葉に、思わず口篭った。あんな些細な出来事を、覚えている筈がないと思っていたからだ。
「うん。ずっと、あの丘の上で空を見てたよ」
 そう言って、王子は遠くを指差した。確かに俺はそこにいた。記憶を引き連れ、思い出を捨ててこの世界へと逃げた、俺が。
「……」
「イアくんは空が好きなの?」
 ふいに訊ねられた言葉に、俺は、すぐには答えられなかった。一瞬止まり、躊躇い、俯いた。
 今、こうやって空を眺めてはいるが、それは考えごとをしていたからだった。視界に入ってはいても、思考には入っていない。
 俺は空は好きではなかった。俺が置いて来た筈の思い出を、思い出してしまうから。俺が引き連れて来た記憶が、千切れそうになってしまうから。
 見上げると青く澄んで綺麗な筈の空も、俺の目から見ると澱み歪み、濁って見えるから。
 だが俺がそれを止めないのは、どうしてなのだろうか。
「……いえ」
「そっか……僕は好きだけどね」
 はにかむように笑みを浮かべ、王子は俺の方を向いた。その表情は、初めて会ったときと同じ笑み。キラキラと輝いて見える、俺にとって最高の笑み。
 その笑顔のまま、王子は口を開いた。
「イアくんと初めて会ったときみたいな、雲ひとつない青い空が好き!」
「……!」
「だって、見るたびにイアくんを思い出すんだもん」
 俺は、空が嫌いだと思っていた。
「……わ、イアくん! どうしたの? 何で泣いてるの?」
「……え? あ……どうして、でしょう……」
 どうしてか解らないが、涙が溢れてきた。……いや、どうしてか、なんてことは解っていた。王子の言葉が、嬉しかったんだ。
「……俺も、空が好きになりそうです」
 心配そうに俺を見ていたが、俺の言葉に疑問符を浮かべる王子が愛しくて、俺は、泣きながら笑った。
 そうだ、俺は空を見ていたのではなかったんだ。あなたのような、太陽を見ていたのだ。
 あなたが太陽ならば、俺は空になります。それなら、ずっと傍にいられるでしょう。


支離滅裂。イアがひたすら王子を想ってるだけの話。

2006/08/20