狂想





 俺は彼に何をしてやれるのだろうかと、不意に思うことがある。
 彼には、母親は違うが、兄弟がいる。とても仲のいい、正しく理想の兄弟に見える。いや、実際そうなのだ。彼らはどんな兄弟よりも仲がよく、ケンカをしてもすぐに仲直りし、お互いに支え合って生きている。
 昔からその節はあったが、彼らの父が亡くなってからというもの、それが顕著になった。
 彼はいつも、兄弟の話ばかりをした。俺の嫉妬には気づかずに。ことある毎に、兄のこと、弟のことを話しては頬を染めた。彼の心の支えは、兄弟なのだ。
 俺は未だ、彼の兄弟には敵わなかった。いや、一生敵うことはないだろう。彼にとって俺は使い捨てでも、あの兄弟は、かけ替えのない、何よりも大切なものなのだから。
 俺では、彼の支えにはなってやれないのだろうか。いくら悩んでも、結局俺の納得出来る答えは出なかった。
 きっと俺は、彼の傍で、見守り続けることしか出来ないのだろう。朽ち逝くまで、ずっと。
 俺は、ずっと彼を想い続けた。ずっと、気が触れるまで、彼だけを――



 彼は、どういう風の吹き回しか、ライブ前に俺に会いにきた。たまたま通りかかったから寄っただけだと言っていたが、俺はとても嬉しかった。
 しかし、一言二言会話を交わしただけで、彼は帰ろうとした。兄弟が待っているから、と。
 そのとき、俺の中で、何かが切れた。帰ろうと背中を向けた彼の身体を、繋ぎ止めるために、抱き締めた。いや、それだけでは足りなかった。欲しい。この身体が、欲しい。
 俺の理性の糸は、切れかけていた。嫌がる彼をその場に組み敷き、服を開(はだ)けさせ、犯そうとした。
 逃げようと抵抗する彼を大人しくさせようと押さえつけたが、彼は嫌だと泣き叫んだ。止めようかと、一瞬思ったが、彼の言葉に、すべてが吹き飛んだ。
 ――助けて、泳人――
 彼は、俺に組み敷かれ、犯されることへの恐怖のあまり、兄に助けを求めたのだろう。だが、その一言が引き金になった。俺以外の名を呼んで欲しくなくて、細い首に手を回し、力を込めた。
 彼は驚いたように目を見開き、首を絞める俺の手に爪を立てた。爪を食い込ませ、引き剥がそうと何度も引っ掻いた。口を金魚のようにパクパクと動かし、額にはじわりと汗が滲んでいた。ブレる焦点。ガクガクと震える身体。
 次第に生気の薄くなっていく彼から、目も、手も離せなかった。暫くすると、彼は動かなくなった。
 やっと彼が俺の物になったと、笑った。心の底から笑いながら、動かなくなった彼を犯した。開いたままの瞳は、俺を見つめていて欲しかったからそのままにし、薄く開かれたままの口に口づけをした。酷く気持ちがよかった。
 直後、いつまで経っても出て来ない俺を探しに来たのかスタッフが入ってきた。だが、彼に夢中になっていた俺は、呼びかけを無視した。何を言っていたのかすら、覚えていない。
 それから丁度、彼の中に三度目の欲望を放ったとき、警官が駆け込んできた。俺は彼を愛していただけなのに、引き離されそうになった。
 激しく、殺意が沸き上がった。
 俺は手元にあったギターを振り回し、警官を殴りつけた。何度も、何度も殴った。彼から引き離そうとする奴らは、死ねばいい。
 近づく警官も、見ていたスタッフも、皆、殴り殺した。血の匂いが立ちこめ、先まで香っていた彼の香りが解らなくなった。
 邪魔者を消し去り、俺は再び彼の元へと向かおうとしたが、急に力が抜け、膝から崩れ落ちた。
 まだ、彼の元へ辿り着いていないのに。腕を伸ばしても、届かぬというのに。何故、こんな場所で。
 次第に目が霞んできた。何故、俺は――。
 彼の元へと這い、もう少しで手が届くというところで、誰かにその手を踏みつけられた。
 痛みは、感じなかった。
「……よくも、よくも俺の可愛い弟を、殺してくれたな」
 眉間に突きつけられた銃口を見て、やっと俺は、この男に撃たれていたのだと気づいた。
 男は薄く笑みを浮かべると、躊躇いもせずに引き金を引いた。
 嫌だ! 死にたくない! 俺は、俺はまだ――


語る人間の死により終わる無様な物語。

2006/06/15